今回は2冊の本についてちょっと書こうかと思う。
橋本治の「人はなぜ美しいがわかるのか」と谷川嘉浩の「人生のレールを外れる衝動のみつけかた」である。
どちらも自分で読み下して消化するのに時間がかかった。
というか橋本治の方が難解、、
この本では、
男性は「きれいがわからない」
「美しいというのがわからない」で生きてる人が多い、と書いている。
(そもそも、本書では「美しいがわかる」にはそこに至るまで時間がかかるものだと、何10ページもかけて書いてある。次回ブログにアップ予定です、、)
例えば、公務員的な人や官僚など、観念で生きている人たち。
その人たちも、昔は幼児や子ども時代もあって、感受性も豊かであったのだろう。
しかし、NHK「光る君へ」のドラマの藤原一族のように、官僚制が延々と続く日本においては、また、長く宮仕えをしていると
「感受性」「感動」「美しさ」というのは必要ない、とされてしまう。
感動をしたり、感情をあらわにすると女々しいとか弱い、とかいわれ、
美しいということを分かっている人間を排除するというのが日本の官僚的(ふつうの会社でもそう)社会だと言い切っている。橋本は「このような社会は、自分にとって圧倒的に不利だ!」と言っている。(彼は感受性が豊かですから・・・)
しかし、本書の後半で
「でも、世界は美しいことに満ちている。死ぬなんてもったいない」と書いてある。
最終的に、こんな官僚的な社会、吉田兼好(徒然草著者。本書では清少納言になりたかった、ふつーのおじさん坊主、と書かれている)的おじさんの社会などは「ぶっこわれていい!」と言っている。ある種のアンチテーゼである。
そして、谷川嘉浩の「人生のレールをはずれる衝動のみつけかた」の登場である。この本も哲学だから読むのに時間がかかるが、エピソードが具体的なので読みやすい。
この本の中では、
「美しいもの」「ハッとするもの」に
取り込まれてしまえ!魅了されてしまえ!と書いてある。
そして、人が何かに魅了され、「刺さる感動」「強い感動」ではなく、「深い感動」を得ることに意義があるという。ここから、その対象に対してマイクロモチーブ(偏愛)をもつことで、じぶんだけの、だれにも邪魔されない「ライフワーク」を得られると言っている。(偏愛というと、「みうらじゅん」を思い出す、、、)
橋本治の「美しいもの」についての本と、谷川嘉浩の「美しいもの(きれいなもの、素敵なもの)に魅了されるススメ」の本は、本質的に似ているのではないか。
谷川嘉浩の本は現在ベストセラーだが、とても良い本だと思う。
とにかく、がむしゃらに仕事をする、とにかく前に進む、という社会でなく、
各人が立ち止まり静かに人生を見つめなおす必要はあるな、と思う。
P.S.
さいきん、官僚的な硬直的社会を打破するいい機会が来てる!と思います。
それは都知事選です。
わたしは都民じゃないので、つくづく残念です(涙)
現状でいいのか(小池百合子氏)
打破するのか、
誰かに投票しないと
社会は変わらないです。
ぜひ選挙権あるかたは、一票投じてください!
終り
ランキングに参加しています。よろしければクリックお願いします。