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サニらいとの楽日記

「子どもが子どもだったころ」~子どもの幸福はなに?~


今回は尺長めです。秋の夜長におせんべいかビール片手に読んでいただければ、、、

 

こちらは、1998年に発行され、2001年に文庫本になった本。昨年の5月に、私が映画館で再会した「ベルリン・天使の詩」の劇中に、まさに表題の「子どもが子どもだったころ」というペーターハントケの詩があった。

 

youtomejiteki1000sai.hatenadiary.com

 

 

わたしは、メルカリで、この題名にひかれて購入した。(もう新刊は販売されていないので)

また、橋本治が自身の子ども時代を語ってる本はなかなかないので珍しい!と思った。

 

 

この本は1998年当時の橋本治(50歳)と毛利子来(69歳)の対談で、世相やそのころの子育てや自身の親子関係を話しており、とても興味深く読んだ。ちなみに毛利子来(もうりたねき)は、渋谷で長らく小児科医をされていて、子育て業界では尾木ママの先駆者みたいなかただ。

 

彼が、世代は違えど、敬意をもって対談したいと思ったのが「桃尻語訳 枕草子」「窯変源氏物語」などで有名な橋本治だったという。

 

 

わたしは、自分が子育てをしてるころにこれを読めばよかったなあ、なんて思った。

 

その頃は、具体的なメソッドや理想論などを読みながら、悩みつつもがきながら子育てをはじめたばかりだった。

 

 

もちろん、「ひよこくらぶ」「こっこくらぶ」みたいな雑誌とか、子供の心理、シュタイナー、毛利子来「赤ちゃんのいる暮らし」(ロングセラーの、とても心が暖かくなる本デス)なども読んでいた。

 

 

ほんとうは、その頃はやっている子育ての本ではなく、「こういう哲学」みたいな長持ちするような本を読んだ方が、いい勉強になってたんじゃないかと強く思った。

今回、著書について4つに分けて書いてみた。

 

 

 

1.橋本治の生い立ち

 

この本のなかで、橋本治はだいぶませていた子供だったことがわかる。

彼の世田谷区にあった父母のいる家では、お菓子屋をやっていたらしく厳格に育てられたが、彼の性分にはあってなかった。

母親に怒られることも多く、彼は「自分は無能だ」と思ってしまったという。

 

そのあと、母の実家のほうに引越ししたが、そこで彼は、水を得た魚のようになる。

 

 

杉並区のお母さんの実家のまわりは、近所コミュニティが充実しており、

奥平さんという産婦人科医の病院に三輪車でのりつけ(!!)、サザエさんを読んだり金平糖をもらったりのんびりまったりしていた。また、アメリカンドリームみたいな広い庭の家に遊びにいったり、奥平さんの向かいの松本さん一家にもかわいがってもらう。

 

 

そんなこんなで、かれは松本さんからは庭木や花の知識を得たり、マンガも小さいうちから読んでいたから少年少女雑誌から始まり、

「平凡」というそのころ中学生くらいから読む雑誌も、小学校に入る前に読めていたという。おそるべし神童っぷり。

 

 

彼は、そのコミュニティのなかで、野球拳(服をぬぐやつではない)、花札東京音頭、「月が~でたでた~」とかの歌をおぼえ、まいにちまいにち楽しく過ごしていたという。実は松本さんは元芸妓、母の実家の大叔母さんも元芸妓だったらしく、橋本治は「女性というのはみんなこんなにきれいなんだなあ、粋なんだなあ」「たばこの吸い方もかっこいいなあ」なんて思っていたらしい。粋な人に育てられたから、美意識の高い橋本治がうまれたのだろうなあ。

 

 

 

2.西洋と日本の「こども観」

 

西洋では「こども」というものが近年になって「発見」された。子供が単に「小さいおとな」ではなく、子ども時代の大事さなどが見直された。18世紀の産業革命の折は児童の強制労働などもあり、その後フレーベルやルソーなどに「こども」というものが見いだされる。

 

しかし、日本では西洋で「こども」が見いだされる前の江戸時代なんかでも、子どもに対しておとながよく遊んであげたり相手をしている。(落語でも寿限無なんてありますしね)それをみて、来日した外国人は自国での子どもの扱いと違うので、かなり驚いたらしい。

 

大森貝塚を発見した「S・モース博士」もアメリカから来日したとき、そんなことを書いていた。彼が来日したのは明治時代であるが、「日本では、こどもたちがニコニコしている」「朝から晩まで幸福そう」と書いている。あと、余談だが犬や動物も可愛がって「◯◯ちゃん」とか「ちゃんづけ」で呼んでることにも驚いた、とある。(日本では今でも当たり前だけどね)

(モース博士像)大森貝塚の公園 夏はミストが出ていて楽しめます。

近くの品川区立品川歴史館もとても見ごたえがあり、裏の庭園や縄文式家屋の跡などもありで、面白かったです。

 

 

日本ではおさなごは「7歳までは神のうち」

といわれたりして、ちいさいうちは病気、事故などで亡くなるケースが多いから、幼いうちはできるだけ可愛がろう、慈しもうというこころもちが強かったのかもしれない。

また、日本人は欧米人と違い、性悪説でなく性善説をとっているせいか、とにかくこどもも「(海とか山みたいな)自然」みたいなものだから、その気質をそのまま受け入れてたのかも。

 

 

 

3.子供の居場所について

 

思春期には

「学校と「家」だけの居場所しかないのはよろしくない!!

と、はっきり言っている。

(同様に女性が、「家庭」と「子どもの学校」だけの往復、というのもよくないといっている)

 

たとえば

インドやイスラム圏では、

人々がみちばたでたむろっている、

お茶をして何時間も過ごす、

カメラを向けると大勢の人がどこからか、わらわら集まってくる(昔の日本みたい!!)、

 

 

大人だってみんなでゆる~くつながりたいんだから、

思春期の時は、ただただ同世代の子とその場にいたい!

 

ゴロゴロする場はだいじ!!とあった。

 

たしかに、ゲーセン、本や、公園、コンビニ前、フードコート、ファミレス、みたいなところに若い子は何時間でもいられるもんね。

 

逆にゲーセンや、コンビニもないような

片田舎ではみんないくところがなく

行き詰ってしまうそうだ。なんだか、わかる気がする。

 

私たち大人も、行き詰りそうになったら飲みに行ったり、お茶をしに行ったり、友達と遊んだり、映画を観に行ったり、なんやらかんやら気分転換するわけだし、、、

 

 

4.学校、家庭、恋愛など、一つのところにすべてをまかせっきりにしない

 

橋本治は本書200Pにおいて、

「バブルははじけた時点でこの国は終わってる」と言い切っている。

毛利子来は驚いていたが、ここから、

「家庭幻想」「学校幻想」はやめたほうがいい、という話になる。

 

 

もっと地域や共同体を大事にしたり、さまざまな方向から問題に向き合って楽に生きよう、ということだと思う。

 

 

 

また、恋愛至上主義、現在だとルッキング至上主義とかあるが、なんでそこまでそこにこだわるのか?と橋本はいう。

それは、「(その人の過去に)そうしなくちゃいけない問題がかくれているのではないのですか」と。

 

(家庭幻想などもそうだが)これは、どこか一つにのめりこむ危険を示唆している。

 

 

 

お二方がもうこの世にはいない2024年のいま、対談当時よりさらに少子化は拍車がかかってる。さらに若者の貧困、シングルマザーの増加、虐待、ヤングケアラー問題など大変な案件が山積み。

日本は本書出版時の1998年よりも、他のひとに対して余裕のない国になっている

 

それでも橋本治「考え続けていればなんとかなる」と言っているので、希望がないわけではないのだ!!

 

 

ちょっと古い本だけど、子育てや世の中について考えさせてくれる本だった。

 

もし、機会があれば読んでみてくださいませ。

 

P.S.

あとがきで、橋本治

小学一年生にして、こどもの宝とでもいうべき

メンコやビー玉などのおもちゃ一式を母親に捨てられてしまった悲しいエピソードを話している。

 

一年生に上がった時点で、「もう、おもちゃはいらないね!?」と言って捨てられたという。「もうこどもじゃないでしょ?」って、、、お母さんは、賢い彼に早く大人になって欲しかったみたいなんだけど、辛すぎますね(泣)

 

そしてその後もおもちゃのない生活が続き、彼は自分が不器用であり無能と思ったのはそのせいか、と考える。

 

毛利たねき「道具がなかったらうまくなれないよねーー」の言葉にたいして、

橋本治がとつぜん「ねー、

そうだよねー、先生」と小児科医の前で不満を訴えるこどもになってしまった(原文より)

 

 

 

と書いており、彼の中の「こども」の悔しい思いがにじみ出て切なくなるけど、先生に受容されて救われてた感が出ていて、わたしも少しホッとしました。