続けよう!サニらいと、の楽日記

サニらいとの楽日記

パイナップル売りの少女

今週のお題「こんなバイトをしてました」

うむむ、バイトの中で際立ってよさげなもの(はてなにアウトプットしていいもの(笑))はなんだろうか。

 

 

そういえば、

わたしは学生の時、友達のピンチヒッターとして、あるスーパーでドールのパイナップルの試食販売係をやったことがある。

 

 

しかし、試食販売は自分に向いてないな、とものの15分ほどで気づいた。

 

 

「うわあ、こんなの失敗だ」

「なにをしゃべればいいかわからないよ~」

「『元気』だけがとりえの私じゃ、だめじゃん」

 

 

わたしは、「どうぞ~」「ご試食いかがですか」といってもみんながなかなか足を止めないので、だんだん焦ってきた。たまに足を止めてくれるおばさまやおばあちゃまはいても、まだまだ。。

 

 

 

わたしの後ろには、売らねばならないと思われるパイナップルが山のように並んでいる。

いや、私に、背後のパイナップルを全部売る義務はない。

しかし、試食のパイナップルがなくならないと、私の居場所がないんだよ~~(´;ω;`)

 

 

 

わたしは焦った。

全部で3時間くらいのバイトがこんな苦行の時間になるとは・・・

急なピンチヒッターなど引き受けなきゃよかったな~と思ったし、前もってバイトのコツみたいなのも聞いておらず、まさにピ~ンチ!!(初めに「笑顔で宣伝してください」とか言われた気がするが。)

ああ、せめて友達や知り合いが来てくれたら!そしたら、気もまぎれただろうし、ほかの買い物客も足を止めただろう。

お願い、だれかっっパイナップル(つまようじつき)を食べてみてください!甘くて美味しいよ!(心の声)

 

 

そして、やっと休憩の時間になった。

私は、カットしたパイナップルをテーブルに置いたまま、休憩場所に向かった。

 

 

小休止したわたしは、ちょっとパワーを取り戻していた。

しかし、休憩後にパイナップルコーナーを見てびっくり。

そう、パイナップルの試食が一個もなくなっていたのである。

(試食販売あるある・・・)

 

 

ネックは、わたし(販売員)の存在だったか。。

 

 

私は、とりあえず、次のパイナップルを切ってもらうためにバックヤードに戻った。

その後、適当に持ち場から離れてみたり、忙しそうにしたり、「元気よく声を張り上げる」のをやめたら、なんとなくパイナップルは減っていった。

 

良かったよかった。

 

 

でも、よく考えるとパイナップルの知識もそれほど持ち合わせず、販売の熱量も持たず、いろんな世代の方とコミュニケーションをとる能力がない若輩者が、よく販売などできたものだ。

 

 

今なら、私はパイナップルを売れるかもしれないな。

人間力やコミュ二ケーション能力はついたかも!?なーんて。

 

 

もしくは、

その頃にキウイブラザーズキャラがいたら、販促は、ちょっとはうまくいってたかもしれませんね。

 

 


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アダム・クーパーのコーラスラインを観る

コーラスライン」というミュージカルの映画は、大げさかもしれないけど、私の青春の一部ともいえる。

 

 

 

先日、品川のシアターHに、ロンドンで大好評を博した「コーラスライン」という舞台を見に行った。

 

わたしは1985年に日本で映画が公開されてから、舞台は一度も観たことがなかった。その後、劇団四季での公演やブロードウェイの来日もあったが、あまり気に留めていなかった。

 

けれども、

最近、映画「国宝」からの影響で歌舞伎熱が高まり、久しぶりに歌舞伎を見る機会が増えた。(とはいっても2回ほど)

そうすると、やはり伝統芸能は面白いなあ、と思うようになった。もちろん、演目や出演者にもよるのだが、「俊寛」なんかは「現代のロビンクルーソー」などと評する舞台関係者もいて、話の内容は観ててつらいが、一方でかなり面白い。

 

話が逸れたが、そのためにスマホの「おすすめ広告」にミュージカルのお知らせも入るようになったのだ!

そこからの「コーラスライン」来日のお知らせをみて、私は、自分の中のコーラスラインへの熱い思いがふつふつとたぎってきたのだ。映画はDVDで何回も観たけど、やっぱり「生の舞台」を見たい!!

そして、「今行かなくてどうする!」「パート代でチケット買えるぞ!」「いや、もはや小遣いはたいてでも行く!」

という心の声に従うことにした。

 

 

当日、劇場につくとパンフレットやTシャツなどのグッズが売っており、本日のキャストの紹介、そして「天海祐希も観た!!」などの文字も踊るポスターも張っており、とても期待が高まる。最後は出演者アダム・クーパートークショーまである、と書いていてラッキーすぎる。

 

700人ほどしか入らないという劇場内では、スモークがたかれ、NYの街角にいるような車のクラクションやざわめきが聞こえており、自分がNYに行った20代の頃に戻ったような気がした。

 

コーラスライン」という映画は、主役の後ろで踊る、まさに「ライン」からはみだしてはならないダンサーたちの物語である。

そこで、なんとか役を勝ち取りたい、というオーディションをする場がこの舞台なのだが、いろんな経歴やいろんなルーツの方がいて、ザック(映画ではマイケル・ダグラスだった)という演出家がその人たちを無情にも選別せねばならない。ザックはみんなに「君たちのことを話してほしい」といって自己紹介を求めて、彼らはダンスへの情熱や人生を語り始める・・・

 

 

その中には、

自分がゲイだと気付いた人、スポーツ万能だけど背が伸びなかった人、子どものころ可愛がられなかった人、家庭不和の人、以前は主役を張っていたが今はなかなか役が付かないキャシーや、ちょっと年上の色っぽいお姉さんのシーラ、音痴だけどダンスが抜群の女の子とその夫、プエルトリコ出身の「I feel nothinng]と歌う人、中国系の「わたしは得してるよ!15歳の役もやるもの」と子供っぽく見られても前向きなコニー、中野加奈子さんの演じるちょっとおっちょこちょいのジュディー、小林美亜さんの演じる美しくバレエへの愛を歌うマギー(歌:at the  ballet)、整形して胸もおしりもぷりぷりしたら役が付いた人、「大きくなったら可愛くなるよ」といわれたのにそうでもない女の子のビビ、などなどがいた。

 

 

 

この映画を初めて見たとき、わたしは、ゲイや離婚や整形についてもよく知らず、すごい世界だなあと思った。でも、おんなじ年頃の子の気持ち、大人になる前のワクワク感や思春期ならではの心配事(歌:Hallo thirteen)がいろいろあったことなども、この舞台を観て思い出し胸がキュッとした。

 

なんというか、この俳優たちが舞台上で「全力で」その人物になりきり、私たちの目の前で体現してくれるからこそ、私たちは感動するのだろうな、、

たとえ舞台というのが「虚構」であり、「大いなる嘘」だとしても、それを全力でやってくれると私たちにこうも突き刺さるのか、としみじみ思った。

 

 

もちろん、わたしはあんなしんどい思春期や中学生なんかには二度と戻りたくないけど、あのとき思ったこととか感じたことは今に生きている感じがする。

 

 

ザックの恋人だったキャシーはとっても強い女性で、映画ではもうちょいふっくらしていた女優さんが演じていたけど、今回のキャシー役のホリー・ジェイムズは、けっこう細身できつめでスタイル抜群。でも、役を得たくて、過去の栄光を捨てこのオーディションに応募してきた役を熱演している。赤い衣装が彼女の意思を現していているかのようで、ダンスも前向きで情熱的だ。

 

 

また、今回の舞台は、演出も映画とは全然違う。時折、アダム・クーパー演じるザックが私たちの真横の通路を横切っていくのもドキドキしてよかったなあ。演出家だから、観客席の後ろから歩いてきたりするのだ。そして、フィナーレの「one」では、舞台で花火が上がり、きらびやかな金色の衣装を身に着けた俳優さんが、誇らしげにダイナミックに歌を歌い、ラインダンスを踊る様子にこちらもむせび泣きそうになった。なんだかもう、

「最高じゃん!!私の人生も最高だな!」という境地。

(もはや、出演者と自分と、自分の過去が一体化してます)

 

 

このメンバーでのこの舞台はもう見られないが、また観てみたいなあ。

いや、自分がロンドン又はニューヨークに行くしかないのか!?

 

 

今回、「コーラスライン」がずっと愛されている理由がわかる気がした。

 

 

最後にアダム・クーパーのインタビューの場が設けられたけど、

 

その質問の時に「私はいま学生ですが進路を決めかねています。クーパーさんはいつそれを決めましたか?」とあった。それに対してアダム・クーパーは「今も探してる!」というナイスな答えで返す。そして、小さいころからダンスに親しみ、その後バレエを習い、ロンドンのロイヤルバレエでプリンシパルまでバレエを究めたあとも、ミュージカルや舞台などにも進出し、自分の幅を広げて新しいことをやっている、というようなこと(あやふやですみません、、)を話していた。

 

 

現在進行形の彼と、新たな道を切り開こうともがいている学生さん!!なんてすばらしいショットなのか、と思った。

 

 

そうだよね、だからアダム・クーパーは、3年前に、日本人だらけのなかで天海祐希を相手にシェイクスピアの「レディ・マクベス」を日本で上演したんだものね。ちなみに彼はコーラスラインの「キャシー」のような、又は「天海祐希」のような強い女性はお好きなようです!!

 

 

 

はたらいく(LIKE)でいく


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今回はパート先について書きたいと思います。

 

わたしは新しいパート先を決めるにあたり、今年の1月頃、体調もよくなってきたため、ニュー働き場所を選ぶことにしました。

 

 

そして、インディードには

希望パート額、仕事の内容などを入力出来て、条件に合った仕事があるとお知らせしてくれるので、自分の好きなお菓子関係を第一希望にしよう!と考えました。

 

 

 

そうしたら、良いタイミングでわりと家から近いところで、条件も合う会社に就職が決まりました。

 

 

そして、この会社がいろいろ事業を始めたばかりで、ごたごたは多少(いや、いっぱいか、、)ありますがいちばん良い点がひとつありました。

 

 

それは、

「自分の好きな時に休みたいだけ長期休みがとれる。」

「パートやバイトの当日、調子がわるかったり子ども体調不良などあっても、ラインで連絡すれば気兼ねなく

休める」

という点です。

 

 

友人にその話をすると、なんて太っ腹な会社なんだ、と感心されます。

 

 

私は、実は3年くらい前に新聞かなにかでみた、ある会社を思い出していました。

それは、

大阪エビ加工会社「パプアニューギニア海産」。

ここの会社は、急な休みをもらいたくなっても「欠勤」は自由。連絡もしなくても良い。うちの近所にこんな会社があるといいなあ、とずっと思っていました。

 

 

わたしは、面接で「遠距離に住んでいる母の介護のため、一週間や10日とか休まなければならないときもあるんですが、大丈夫ですか?」というと、なんとOK。「うちの会社でも家族を介護しているパートさんがいるからね。あとは、前もって言ってもらえればたいてい大丈夫」とのことでした。同じころに入った同僚も「田舎に2~3週間近く帰ることもありえる」と話したら、それも大丈夫だったとのこと。

 

 

ほんとにほんとにありがたい。

わたしは自分の不調だけでなく、夫の入院があったりして、一か月に10日しか働けないこともあった。でも、ぜんぜん大丈夫で基本は「いる人だけでなんとかする」という会社のスタンスがある。

 

 

あと、女性はやはり生理的なもので体調の浮き沈みがあったり、低気圧で頭痛がして不調なこともある。また季節の変わり目には、腰痛や膝痛みなどや風邪にもかかりやすくなる。パートさん中心のうちの会社では、細かく理由を言わずとも、ラインでお伝えすれば大丈夫。

ここは、私があこがれていた「エビ会社」にものすごく近かったです。

 

 

わたしは、とりあえずこの会社でなが~く働きたいなあ、と思っています。

 

おわり

 

 

p.s.

昨日江口のり子主演の「あまろっく」を見ました。人生において、その時なにが一番大事なのか…関西弁の江口のり子、笑福亭鶴瓶中条あやみが新鮮でした。関西弁って自分の気持ちをだいぶ言葉に乗せられるからいいなあ~~。ま、本気で関西の人怒らしたら、こちらもたじたじやけど。


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子ども中心から自分軸へ


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紫と白のトルコキキョウと、黄色い花


先日、肩が後ろに回せなくなると同時に、手首に腱鞘炎のような症状が出たため、近所の整形外科に行きました。

 

そこで、レントゲンなどの結果、骨に特に異常はなく、どうやら疲れからきているようでした。腱鞘炎疑いも本来の腱鞘炎の箇所ではないらしく、、先生が「とりあえず、塗り薬とシップで様子をみて、リハビリをしていくと治るでしょう。」とのこと。うむ、大したことはなかったのね。そうしたら、なんとなく気が楽になってきました。(なんて、単純なんだ!)

 

そのあと待合室で「あら、サニさん?(仮名)」といわれ、「私よ、わかる?」と言われたが全然分からず。そしていつも彼女がメガネをかけているのですが、今日はかけてなかったので、、名前を言われてやっとわかりました。いや~6.7年ぶりに会うと分からないものですね。

 

彼女とは、娘が幼稚園からのつきあいで、一緒に学校の役員もやったことがありました。(彼女はものすごくできる方で、わたしはなかなかのドジママでいろいろお世話になっていました(-_-;))

 

そして、わたしたちは近況を話しましたが、

いやー、7年前には話せなかった体の不調、ケガ、病院通いなどがでるわでるわ。

まさかの「体調トーク」だけで待合室の時間は過ぎていきました。

「それではまたね~~!」と別れるとき、ふっと思いました。

あ。わたしたち、自分の子どもの話をひとっつもしてなかった!

 

 

そう、ついこの間までは、

自分語りよりは「お子さん元気?」みたいなトークをしてたんですが、さすがに子供が二十歳を超えるとあんまり子どもの話はしないものなんですね。何かの話題で子どものことがでてきても、小学生くらいまでならそこそこ話していましたが、最近はめっきり話題の中心にはならない。そして、その肝心のお子さんだって、あれこれ他のお母さんたちにうわさもされたくないし、いま人生の絶頂にいるとも限らなく、、そう考えるとこれくらいのトーンで自分語りをする、というのは正しい感じもしますね。

 

わたしは、なんとなく

「わたしも少しづつ、子離れしてきてるんじゃないかな~」と思い、口元をゆるめつつ家に帰りました。

 

おしまい

 

 

終了するブログサイト~未来への遺産~

イラストは、acイラストのhachiware310さんです。

 

 

2025.9.25(木)の新聞に「消えゆくブログサイト」という見出しがあり、ドキッとしました。

 

この記事は、Gooブログが11月に終了する、というもので今年の4月にブログ終了を発表していたと書いてある。運営するNTTドコモは、取材に対して「市場の動向の変化や昨今の状況を鑑みた結果、また当社として経営資源の集中を図るため」としている。アクセス数は最盛期から三分の一になったそうだ。

 

 

うむむ、、、

 

 

ブログは1993年くらいから始まり、全盛期は00年代前半だそうはてなブログはてなダイアリーから統合)が2003年、ライブドアブログなども参入。もう、ブログってもう30年くらいがんばっているんだなあ。

しかし、2005年くらいから、TwitterFacebookなど出てきて、ブログの存在感は急速に薄れてきたらしい。今残ってるのは、「はてなブログ」「ライブドアブログ」「Amebaブログ」「FC2ブログ」などらしい。

 

 

そして、ほんとはそれらを保存すべきだが、議論が進んでいないらしい。フランスやデンマークなどでは、法定納本の一環として、多くのサイトが自動的に保存されているらしいけど。たとえば、国立国会図書館に、日本で発行された本がすべて納められているので、ブログもその一環として取り入れるべきか否か、とかね。(30年後とかには、いい日本人文化史みたいになってる感じがしますね)

 

 

わたしは、なんとなく「デジタルタトゥ」などという言葉もあるから、デジタルの記録は生涯消えないかと思いきや、意外とスパッと切れてしまいそう!なので驚いた。

 

 

 そして、わたしはこの後の「はてなブログ」の行く末が非常に気になってきたのだ。

gooブログ」のみなさんも「はてな」や他のブログに移動しているとのことで、自分も、いざとなったら引っ越ししたりすることになるのだろうか、と。

 

 

 私は現状、「はてなpro」を使っていないので、「これじゃあ、はてなブログ本体に収益がはいってこないかなあ」などと申し訳ない思いはあっても、とりあえず現状維持で、、。そうだとしたら、「『はてなブログ』はまだ当分運営していける体力はあるのだろうか?」を失礼ながら、ちょっと調べてみた。

 

 Googleで調べてみたら、実ははてな」は東証に上場しているらしいのだ!!知らなかった。そして、このニュースが出て以来、株価が大幅に下がったそうだ。でも、ネットでは、みんなで「はてな」を支えるべく、「『はてな』の株を100株づつ買おうぜ!」という熱い思いの方もいて、ちょっと目からうろこだった。自分たちのプラットホームを自分たちで守るという方法もあるのだ。(ただし、ここは上場以来、配当金は出てません。株主優待愛好家の桐谷さんは、決して目をつけないでしょうけど)その結果、一応まだ株式会社としての体力はあるし、コミックの宣伝にも力を入れているらしいのでほっとした。(←個人的見解)

 

 次に、ブログはほんとにオワコンなのかを考えてみた。

確かに新聞の記事に出ているように、他のツールがでてくると、広告などの収益が落ちて会社本体はやりにくくなるだろう。

 けれでも、この記事では乳がんになった妻のことを心配する夫がでてきて、ブログで、同じように闘病している方をみつけ何度も読み返し、自分の支えになったと書いてある。(今はこの方の妻は治療を経て元気に過ごしてるそうだ。)

 そうだよね、私たちは病気になったりしたら、病気のことや治療の方法なども知りたいけれど、同じような病を持った人がどんな気持ちでいるか、どんな経過を経たのか、そういうソフト面を知りたかったり、共感したいことがいっぱいあるんだよね。。それは、病院のブログや、芸能人や作家の手記では得られない、一般人の『生きた記録』なんだ!芸能人や有名人は自分にとって不都合なことや金額的なことは出さなかったりする。しかし、一般のひとは不都合でも金銭面の工面や、役所への手続きなども正直に語ってくれることも多い。私も、自分が病気になったときは、他の方の手記や闘病記を読んで、覚悟を決めたり、安心したりしました。(高額医療費のこととか、今後の働き方や家族との関係を含め)

 

 しかもブログは「双方向」というメディアである。わたしはSNS で直接コンタクトをとったりはしないけど、はてなブログは「いいね」や「💓」を押すことができるし、感想も書ける。そうすることで、「辛いのはじぶんだけではない。みんな、なにかしら乗り越えてきたんだ」としみじみ思ったりする。

 

 

 最後に、「今はAIがあるから、ブログやホームページは、AIに吸い取られて終わり」という論争について書きたい。私たちのブログは日々、AIに吸い取られているらしいのだ。AIが学習するためのたたき台に過ぎないのか、と思うと目の前が暗くなるが、先日友人と会ったときに、こんな会話をした。

 

 実は私はいま、ある雑誌の「アドバイザー」として毎月、本の感想や批評なんかを出版社に送っている。「アドバイザー」は大げさかもしれないが、いわゆる「読者モニター」みたいなものだ。「毎回、締め切りに追われててまあまあ大変だよう」と友人に愚痴ったところ、友人は「でも、謝礼もらえるんでしょ?」という。「うん、それは多少いただくことになってるよ。」というと続けて、「批評するのはとても大変だよね、全部読み込まなくてはいけないから。でも、その企業にとってはとってもありがたいことだよね」とのこと。「黙って去っていく人より、悪い点を言ってもらったりする方が次の本につながるんだもん。」と言われました。そして、「そういう仕事はAIではできないもん。AIは、新たな事柄について、批評とか悪口とかをいえないんだから」と言われ、わたしは目からうろこでした。

 

 

 

 何と知見のある友達よ!!

 

 

 そういうわけで、わたしはブログなどで、AIにはできない「創造」ということを毎回地味にやっているのだ、と気づきました。だから、「人」にしかできないことってやっぱりあるんだよねえ、、たとえ文章が順次にAIに学習されても、新たな壁を打ち破ることができるのはやはり「人間」だということ

そのことに気づいたので、ブログはオワコンなんかではないと思います。あ、noteなどもあるから、もしかしたら将来的には、違うコンテンツになる場合はあるかもしれませんが。

しかも、ブログが優れているのは、、、「ほぼ無料」ということ。ありがたすぎる。noteは、読みたいコンテンツが途中で「有料」になったりして、いつも中途半端な思いを抱いています・・・

 

 

ちなみに、今回の表題は、はてなAIにつけてもらいました。AIありがとう!!(一応、AIと共存中)

 

 

 

「子どもが子どもだったころ」~子どもの幸福はなに?~


今回は尺長めです。秋の夜長におせんべいかビール片手に読んでいただければ、、、

 

こちらは、1998年に発行され、2001年に文庫本になった本。昨年の5月に、私が映画館で再会した「ベルリン・天使の詩」の劇中に、まさに表題の「子どもが子どもだったころ」というペーターハントケの詩があった。

 

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わたしは、メルカリで、この題名にひかれて購入した。(もう新刊は販売されていないので)

また、橋本治が自身の子ども時代を語ってる本はなかなかないので珍しい!と思った。

 

 

この本は1998年当時の橋本治(50歳)と毛利子来(69歳)の対談で、世相やそのころの子育てや自身の親子関係を話しており、とても興味深く読んだ。ちなみに毛利子来(もうりたねき)は、渋谷で長らく小児科医をされていて、子育て業界では尾木ママの先駆者みたいなかただ。

 

彼が、世代は違えど、敬意をもって対談したいと思ったのが「桃尻語訳 枕草子」「窯変源氏物語」などで有名な橋本治だったという。

 

 

わたしは、自分が子育てをしてるころにこれを読めばよかったなあ、なんて思った。

 

その頃は、具体的なメソッドや理想論などを読みながら、悩みつつもがきながら子育てをはじめたばかりだった。

 

 

もちろん、「ひよこくらぶ」「こっこくらぶ」みたいな雑誌とか、子供の心理、シュタイナー、毛利子来「赤ちゃんのいる暮らし」(ロングセラーの、とても心が暖かくなる本デス)なども読んでいた。

 

 

ほんとうは、その頃はやっている子育ての本ではなく、「こういう哲学」みたいな長持ちするような本を読んだ方が、いい勉強になってたんじゃないかと強く思った。

今回、著書について4つに分けて書いてみた。

 

 

 

1.橋本治の生い立ち

 

この本のなかで、橋本治はだいぶませていた子供だったことがわかる。

彼の世田谷区にあった父母のいる家では、お菓子屋をやっていたらしく厳格に育てられたが、彼の性分にはあってなかった。

母親に怒られることも多く、彼は「自分は無能だ」と思ってしまったという。

 

そのあと、母の実家のほうに引越ししたが、そこで彼は、水を得た魚のようになる。

 

 

杉並区のお母さんの実家のまわりは、近所コミュニティが充実しており、

奥平さんという産婦人科医の病院に三輪車でのりつけ(!!)、サザエさんを読んだり金平糖をもらったりのんびりまったりしていた。また、アメリカンドリームみたいな広い庭の家に遊びにいったり、奥平さんの向かいの松本さん一家にもかわいがってもらう。

 

 

そんなこんなで、かれは松本さんからは庭木や花の知識を得たり、マンガも小さいうちから読んでいたから少年少女雑誌から始まり、

「平凡」というそのころ中学生くらいから読む雑誌も、小学校に入る前に読めていたという。おそるべし神童っぷり。

 

 

彼は、そのコミュニティのなかで、野球拳(服をぬぐやつではない)、花札東京音頭、「月が~でたでた~」とかの歌をおぼえ、まいにちまいにち楽しく過ごしていたという。実は松本さんは元芸妓、母の実家の大叔母さんも元芸妓だったらしく、橋本治は「女性というのはみんなこんなにきれいなんだなあ、粋なんだなあ」「たばこの吸い方もかっこいいなあ」なんて思っていたらしい。粋な人に育てられたから、美意識の高い橋本治がうまれたのだろうなあ。

 

 

 

2.西洋と日本の「こども観」

 

西洋では「こども」というものが近年になって「発見」された。子供が単に「小さいおとな」ではなく、子ども時代の大事さなどが見直された。18世紀の産業革命の折は児童の強制労働などもあり、その後フレーベルやルソーなどに「こども」というものが見いだされる。

 

しかし、日本では西洋で「こども」が見いだされる前の江戸時代なんかでも、子どもに対しておとながよく遊んであげたり相手をしている。(落語でも寿限無なんてありますしね)それをみて、来日した外国人は自国での子どもの扱いと違うので、かなり驚いたらしい。

 

大森貝塚を発見した「S・モース博士」もアメリカから来日したとき、そんなことを書いていた。彼が来日したのは明治時代であるが、「日本では、こどもたちがニコニコしている」「朝から晩まで幸福そう」と書いている。あと、余談だが犬や動物も可愛がって「◯◯ちゃん」とか「ちゃんづけ」で呼んでることにも驚いた、とある。(日本では今でも当たり前だけどね)

(モース博士像)大森貝塚の公園 夏はミストが出ていて楽しめます。

近くの品川区立品川歴史館もとても見ごたえがあり、裏の庭園や縄文式家屋の跡などもありで、面白かったです。

 

 

日本ではおさなごは「7歳までは神のうち」

といわれたりして、ちいさいうちは病気、事故などで亡くなるケースが多いから、幼いうちはできるだけ可愛がろう、慈しもうというこころもちが強かったのかもしれない。

また、日本人は欧米人と違い、性悪説でなく性善説をとっているせいか、とにかくこどもも「(海とか山みたいな)自然」みたいなものだから、その気質をそのまま受け入れてたのかも。

 

 

 

3.子供の居場所について

 

思春期には

「学校と「家」だけの居場所しかないのはよろしくない!!

と、はっきり言っている。

(同様に女性が、「家庭」と「子どもの学校」だけの往復、というのもよくないといっている)

 

たとえば

インドやイスラム圏では、

人々がみちばたでたむろっている、

お茶をして何時間も過ごす、

カメラを向けると大勢の人がどこからか、わらわら集まってくる(昔の日本みたい!!)、

 

 

大人だってみんなでゆる~くつながりたいんだから、

思春期の時は、ただただ同世代の子とその場にいたい!

 

ゴロゴロする場はだいじ!!とあった。

 

たしかに、ゲーセン、本や、公園、コンビニ前、フードコート、ファミレス、みたいなところに若い子は何時間でもいられるもんね。

 

逆にゲーセンや、コンビニもないような

片田舎ではみんないくところがなく

行き詰ってしまうそうだ。なんだか、わかる気がする。

 

私たち大人も、行き詰りそうになったら飲みに行ったり、お茶をしに行ったり、友達と遊んだり、映画を観に行ったり、なんやらかんやら気分転換するわけだし、、、

 

 

4.学校、家庭、恋愛など、一つのところにすべてをまかせっきりにしない

 

橋本治は本書200Pにおいて、

「バブルははじけた時点でこの国は終わってる」と言い切っている。

毛利子来は驚いていたが、ここから、

「家庭幻想」「学校幻想」はやめたほうがいい、という話になる。

 

 

もっと地域や共同体を大事にしたり、さまざまな方向から問題に向き合って楽に生きよう、ということだと思う。

 

 

 

また、恋愛至上主義、現在だとルッキング至上主義とかあるが、なんでそこまでそこにこだわるのか?と橋本はいう。

それは、「(その人の過去に)そうしなくちゃいけない問題がかくれているのではないのですか」と。

 

(家庭幻想などもそうだが)これは、どこか一つにのめりこむ危険を示唆している。

 

 

 

お二方がもうこの世にはいない2024年のいま、対談当時よりさらに少子化は拍車がかかってる。さらに若者の貧困、シングルマザーの増加、虐待、ヤングケアラー問題など大変な案件が山積み。

日本は本書出版時の1998年よりも、他のひとに対して余裕のない国になっている

 

それでも橋本治「考え続けていればなんとかなる」と言っているので、希望がないわけではないのだ!!

 

 

ちょっと古い本だけど、子育てや世の中について考えさせてくれる本だった。

 

もし、機会があれば読んでみてくださいませ。

 

P.S.

あとがきで、橋本治

小学一年生にして、こどもの宝とでもいうべき

メンコやビー玉などのおもちゃ一式を母親に捨てられてしまった悲しいエピソードを話している。

 

一年生に上がった時点で、「もう、おもちゃはいらないね!?」と言って捨てられたという。「もうこどもじゃないでしょ?」って、、、お母さんは、賢い彼に早く大人になって欲しかったみたいなんだけど、辛すぎますね(泣)

 

そしてその後もおもちゃのない生活が続き、彼は自分が不器用であり無能と思ったのはそのせいか、と考える。

 

毛利たねき「道具がなかったらうまくなれないよねーー」の言葉にたいして、

橋本治がとつぜん「ねー、

そうだよねー、先生」と小児科医の前で不満を訴えるこどもになってしまった(原文より)

 

 

 

と書いており、彼の中の「こども」の悔しい思いがにじみ出て切なくなるけど、先生に受容されて救われてた感が出ていて、わたしも少しホッとしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新しい扉がひらく~ヘレン・ケラー

 

毎日見てます

 

幸福の扉がひとつ閉じるときには、別のひとつが開きます

byヘレン・ケラー

 

 

昨年末に買ったダイソーの格言。

 

7月に何気なくめくったこの格言に

ハッとしました!

 

 

 

私たちは、幸せな子ども時代、幸せな恋愛時代、幸せな仕事、などが一生続くわけではないんだよね。たとえば、中学生に上がるとき、子どもの時期が終わる悲しみや戸惑いや、未来に対する不安もあります。でも、同時に未来に対する大いなる希望もあります。

 

あの、ワクワクやドキドキは大人も忘れてはいけないかも。

 

 

そういえば、映画「メリーポピンズ」「メリーポピンズ リターンズ」でも

「メリーポピンズはいつ帰っちゃうの?」と

聞くバンクス一家の子どもたちに対して

 

「扉がひらくまで!」と答えていたなあ。

(扉がひらく時は、、子どもたちや家族の問題が解決したときなんです)

 

 

 


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☝前半のバスタブ飛込シーンが子役もエミリーも体当たりで「Off we go!」というのがかっこよすぎ!

 

このメリー・ポピンズ リターンズは、エミリー・ブラント主演のミュージカルで、何回みても楽しいです。(2019年2月公開)最後の風船おばさんとの会話も素敵です。


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