続けよう!サニらいと、の楽日記

サニらいとの楽日記

四天王に踏まれ続けて2100年~がんばれ!邪鬼~

 

 

先月に引き続き、今月もたまたま仙台に用事があり、この「大シルクロード展」に行くことができました。

 

場所は、国府多賀城にある、東北歴史博物館です。

 

これは、昨年末から東京を皮切りに全国5か所を巡回している展覧会です。東京、福岡、仙台、愛媛、岡山、京都をまわります。

 

正直に言って、

 

 

ほんとうに見てよかったです。

 

日本の仏教や美術のルーツを知ることもできました。

 

なんてかわいらしい。おだやかな表情でお琴を弾く女性です。(5世紀)

 

 

中国国宝の金の六花形脚付杯。馬に乗っている人物が細かく描かれています。(8世紀)

 

 

唐三彩の貴族の女性。ふっくらしたお顔で目は切れ長、ショールを羽織り、先が反り返った履物をはいています。鮮やかな色彩です。

 

 

ゾグド人(ペルシアの人、現在のイランあたりの人)

シルクロードの西洋と

アジアをとりもつ大事な役目の方たち。

顔や人物の書き方が立体的で、江戸時代までの日本の人物画とまったくちがう描き方です。

 

 

 

仏像の数々。日彫りがふかく、口元もくっきりはっきり。これをみると、奈良の東大寺大仏も「あの人もインド人(渡来人)だったか~~!」と実感するような仏像です。

 

 

本題にはいります。西安博物館にある、ゾグド人の墓(史君墓)のレプリカが入場後、すぐに展示してありました。こちらは2003年に発見されました。

 

えーー、

上の絵はわたしの手描きなんですが(-_-;)

 

なぜ写真と比べてあるかというと、細かいところが見ずらいからです。

 

この作品は580年作、とありますので中国は北周の時代、日本では飛鳥時代のころのようです。

 

ここで、わたしが興味をもったのは

 

ずばり

 

「邪鬼」です。

 

邪鬼とは、みうらじゅんファンや仏像ファンや、関西在住のかたなら説明不要かとは思いますが(わたしは前者、、)

 

仁王像や、四天王(広目天増長天持国天多聞天)などの像にふまれる小鬼のこと。

人間にわるさを働いたため、仏陀の使いであるかみさまに踏みつけられて、こらしめられてる鬼なのです。(コトバンクより)

 

つまり、この「大シルクロード展」で「邪鬼」を

入場早々みつけてしまい、ワクワクがとまりません。

 

しかも、右の邪鬼はがんばって

主人をささえてますが、

左の邪鬼はまったくやる気がなく、

一休みしてるように見えます。。

 

 

わたしは、邪鬼の歴史が知りたくなり、パンフレットやネットや見仏記やらをいろいろしらべてみました。

 

そもそも、仏教はインドのゴータマシッダールタが紀元前5世紀に開いた宗教で、世界三大宗教である、キリスト教(1世紀)、イスラム教(7世紀)より古いものです。

邪鬼はどのへんからでてくるのか、、、

 

 

 

 

 

 

 

 

ありました!

こちらは、インドのカルカッタにあるインド博物館所蔵の「バールフット」の柱。(イラスト描きました!)
紀元前2世紀から紀元前1世紀のもの。

 

このころは、まだ現在のように、「仏を単体で拝む」という習慣はなかったようです。

初期仏像美術です。

 

そして、左側のご主人にふまれているのが、

可愛い鬼です。

こんなときから仏陀のしたの神様にこらしめられてたんですね、、、

 

 

日本で最古607年につくられた木造建築の

法隆寺

こちらには国宝「四天王像」(日本最古)のものがあります。

作品は650年ころだそうです。

 

しょうしょう雑な絵ですが((-_-;)

 

4匹の邪鬼はみんな表情がちがい、ユニークです。

 

 

みんな四つん這いになってがんばって四天王をささえています。

広目天の邪鬼はわりと一般的。

増長天の邪鬼はいっっぽん角。

持国天は、さいしょ羊かとおもったけど、牛頭だそうです!珍しい!

多聞天はひげがはえたインテリぽい鬼、ほんとうにふまれてるのが悔しそうです。

 

ちなみに、バールフットの柱の邪鬼(こちらをむいていて、四つん這いでささえている)B.C.2~B.C.1のものと

法隆寺の4人鬼は似ているのよね、、顔や恰好など。

 

 

まとめ(おもに邪鬼歴史)

 

B.C.5世紀 ゴータマシッダールタがインドで仏教をひらく

 

B.C.2世紀~B.C.1世紀にインド・カルカッタのバールフットで、邪鬼が柱に「彫刻」として描かれる(BC2ごろ、中国前漢に仏教が伝わる)

 

A.D.580年に西安長安)で、邪鬼が木の扉に「彫刻」として描かれる(ソグド人史君墓)

 

さらにA.D.607年以降に、日本の法隆寺にこの邪鬼が伝わる。仏像を拝む文化ができたため、邪鬼が四天王とともに3D(立体彫刻)として作られる。

 

仏陀や邪鬼が立体彫刻に至るまでのシルクロード、感慨深いものがあります。

 

ちなみに538年に、百済から仏教の釈迦如来(たぶん小さい仏像)とか経典がつたわったといいますが、そのときは邪鬼はまだしられてなかったのかなあ。

 

P.S.

四天王に踏まれ続けて約2100年。

邪鬼にあわれさや、人間味をかんじるのは

当時のひとも同じだったのではないでしょうか。

ほんとによく頑張ってるなあ!!陰ながら応援してます。

ちなみに鎌倉時代の邪鬼は、かみさまなしで一本立ちし、けっこうりりしくなってるようですね。

興福寺 ホームページ 竜燈鬼像の画をお借りしました。

 

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