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先生と生徒のありかたとは?映画「ありふれた教室」の衝撃 Der Lehrerzimmer 


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昨日、ドイツのイルケル・チャタク監督の映画「ありふれた教室」を見に行った。これは学校もののホラーサスペンスと言っていいかもしれない。極端に出血したり、バイオレンスの場面はないんだけど、、とにかく、徐々に観客である、私たちまでも追い詰められる気がしてくる。

 

 

 

監督は、ベルリン生まれだが、トルコの移民というルーツをもつ。

主役はレオニー・ベネシュという俳優で、本作ではカーラという女性教師の役を演じている。彼女は、Amazonプレミアムの「バビロンベルリン」「ザ・クラウン」などに出演していて、いま旬の女優である。

 

このドイツ映画は、現代社会の縮図のような映画で、こんなに学校というものが混乱していて、タスクや責任が多すぎるかと思うと、みていて心がざわつく。

 

あらすじ

主人公の女性カーラは、「不寛容」の学校に赴任してきたばかりの教師である。受け持つのは中学一年生。1クラスは26名くらいと、日本より少なめだが、多感な時期なこどもたちの中には、いろんな国籍のこどもたちがいるし、貧富の差や、学力の差など問題が山積みだ。

 

 

ある日、クラスでお金が盗まれる、という盗難事件が起こる。その上、子どもを通じて、その追及ややりかたについても保護者達にはつつぬけとなってしまう。

 

これらがきっかけで、カーラのクラス運営が徐々に困難になる。保護者会でも追及されるし、同僚からも冷たい目で見られる。 

 

それでも、学級担任カーラは、初動の行動でやらかしたり、迷ったり、倒れたりしながらも、自分の信念をもって行動するのだ。(彼女のメンタルの強さよ、、)

 

 


www.youtube.com

 

 

 

結局、

この映画では誰がお金を盗んだのか、ほんとうの犯人は明らかにされない。

 

しかし、それを暴くことを目的とした映画ではないのだ。

 

テーマは「現代社会の縮図」なのだから。

 

この舞台は学校だから、

 

先生と生徒は

信用しあわないと学校生活は成り立たない。

 

これが、成り立つには

先生と保護者の根底での信頼があること。

 

それなのにこの映画では、

主役の先生も、同僚の先生も、保護者も、生徒も

みんなお互いをなじるばかりだ。

 

 

論ずる、意見を述べる、すり合わせる、などはもちろん大事なことだ。

民主主義の基本だ。

 

 

しかし、民主主義=自分の生を生きたいまま生きる、と解釈したら世界はどうなるか?

他者はどうする?

 

 

この映画全編にながれるいらだち感は、ここからきているのだろうか。

 

国のトップ~ダウン

学校のトップ~ダウン

 

だれもが自分はかわいいし、自分の家族はかわいい。

自分やじぶんの近辺の権利は守りたい。

しかし、それが行き過ぎてみんなこころも体も傷ついていく。過激な行動にでるものもでてくる。

 

 

そして、クライマックス。

「この映画は、こんな終わり方するの??」と、ちょっとした衝撃を受ける。

 

 

だから、自分のなかでそれを消化するのに時間がかかる。

というか、まだまだ納得できていない。。

 

 

 

この映画で、「世の中が多少重くたって、自分たちでなんとかしていきたい、なんとかしていくのだ!」という強いメッセージを感じた。

わたしたちは、(ちょっとしんどいけど)思考停止をしてはならないんだろうなあ。

 

p.s.

ちなみに、この映画は2022年製作、2023年公開でドイツでは4か月のロングランだったそうだ。2024年のアカデミー賞長編映画賞にノミネートされている。

 

ドイツではこんな映画が作れるが、日本では作れるだろうか、、。生徒たちの成熟度が違うのと、事なかれ主義があるからむずかしいかもしれない。

 

また、ドイツでは、友人や家族でもこういう映画をみてかんかんがくがく議論するだろうなあ。それはそれでうらやましい。そして日本でも、先生の働き方についてもっと議論が深まればいいのに、と切に願う。

 

 

 

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