芸術は、こころに浮かんできたもの、あたためてきたもの、見てきたもの、理想としてるもの、
を体現するひとだ。
かの有名な美内すずえ先生の漫画「ガラスの仮面」で、桜小路くんが弟子入りする仏師(普段は市役所のサラリーマン)が
温厚で、よき夫でよきパパ、よき社会人として暮らしてる
しかし、一度スイッチが入ると回りが目に見えないくらい集中し、木に向き合う
そのとき「なぜ、木をすぐに彫らないのか」と言われるが、彼は「仏さまが木から出てくるのを待っているのだ」という
自分のイメージと、木が共鳴するのを待つ、ということか
昔は「そんなことあるかしら?」「やる気になるのを待っているのを、そんなふうに言い換えてるのかな?」と半信半疑でした。
最近、そのことばが少しわかる気になった
人の中にも仏を見ることがある、とわかってきたからだろうか
P.S.
ところで、姫川亜弓は身体的に紅天女を演じるのは厳しいが、最後に花を持たせる、というかたちで北島マヤでなく彼女が紅天女の役を得る、という考察でよろしいでしょうか❔美内すずえ先生!
それにしても憂いを含んでいる速水真澄様は、やっぱりかっこいいな
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